約ネバ実写映画の感想

エマ役の浜辺美波を筆頭に役者の方々の演技が素晴らしかっただけに、脚本の「中途半端に原作をなぞる感じ(しかもなぞりきれてない)」が非常に残念だった。
耳に埋められたチップを見つけるまでの過程は?レイが焼身自殺するのを止めるためにアンナが伸ばしていた髪を切ったことは?フィルの神がかった聡明さは?etc

群を抜いて酷かったのは、フィルとママ(イザベラ)の描き方だと思う。

フィルの聡明さが描かれていたのは序盤のモールス符号を見つけたシーンだけ。
後は豚さんのぬいぐるみを取られたと泣きわめく年相応の子どもという印象しかない。
作中でフィル特有の聡明さが十分描かれなかったために、ラストの火事場のシーンは、ただの「火事が怖くてママに泣きつく幼少児」と化しており非常に残念だった。全てを理解し覚悟を決めた上で、ママを足留めするために年相応の子どもを演じているのが格好良かったのに……。

ママ(イザベラ)の酷さはフィルの比では無い。
「いつもニコニコしていて子ども達想いでとても優しかったママが実は子供たち(人間)を食べる鬼の手先だった!」というギャップがこの作品の重要ポイントだと思うんだけど、尺の都合なのかママの温かさが十分に描かれないままフルスコア2人に正体がバレてしまい、終始「隙がなく怖い大人」として描かれていて「そうじゃないだろ!」感が凄かった。
あと、ラストシーンで向かいの崖に渡るためのロープを切ろうとするなど、非常に見苦しかった。これはフィルを聡明な子どもとして描かなかった弊害かもしれないが……。
また、取ってつけたような「少女時代の純粋イザベラエピソード」には正直反吐が出た。悪役が死ぬ直前に真相を吐露して観客を掴む手法かな?と思ったが、私は原作を読んだ際にママを「純粋な悪役」だとは思わなかったため、悪役にありがちな演出をされたことに納得がいかない。

冒頭で述べたとおり、脚本以外は良い作品だった。エマの髪型など、普通の人がやれば「コスプレ感」が強く出てしまうキャラデザだが、ウィッグが役者とよく馴染んでおりとても感動した。
ウィッグ目当てにまた観るかもしれない。

 

えんとつ町のプペル鑑賞

開始20分あたりまでcv芦田愛菜のキャラが主人公のプペルかと思ってしまうくらいには序盤の情報量が少ない。

 

序盤のハロウィンダンスシーンでは、生まれたばかりのプペルが何故センターでバッチリ踊れたのか謎。

 

映画タイトルにもなったプペル…ではなくルビッチという名前だと判明したcv芦田愛菜の少年は、母親に友達が居ないと思われたくないという理由で先程までゴミだの臭いだのと罵りまくっていたゴミ人間こと主人公プペルに「友達になろう!」と持ちかける。
……いくらなんでも酷過ぎません?友達じゃなくて手下じゃんそれ。

 

ルビッチまじ有り得ないわ〜とか何とか思っているうちに「広告か?」と思わせるような挿入歌シーンに突入し、気がついたら何だかんだ2人が仲良くなっていた。
私が知らないだけで奴隷から始まる友情もあるのね。

 

ほかにも色々思ったことがあった気がするけど、あり過ぎて忘れてしまいました。

 

イラストは綺麗だったし、キャラデザとかアトラクションシーンとか海外ウケしなくもなさそうなので、もっともっとヒットすると良いですね。

 

この映画で号泣できる「綺麗な心」が欲しかった。

 

プペプップープペルー♪

#映画
#えんとつ町のプペル
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GUCCIとサイゼリヤ

少し前の話になりますが、高校生の娘がGUCCIの財布を親におねだりした件でTwitterが盛り上がり、そのさらに前にはサイゼリヤで喜ぶ彼女というイラストをきっかけにこれまたTwitterが盛大に盛り上がりました。

私は普段この手の炎上には興味を示さないのですが、これらのコンテンツが炎上していた時期は精神が荒んでいたため、Twitterに齧り付き様々なツイッタラーの意見を読み漁っていました。

これらの炎上を眺めていて気がついたことは、これらの炎上に食い付いているツイッタラーの殆どが貧乏だということです。もちろん私もです。

サイゼリヤのイラストが炎上した際、炎上騒動に触発された人達がサイゼリヤに足を運び料理の写真をTwitterに投稿しました。サイゼリヤは様々な形で定期的に炎上するものの、炎上騒動に触発された人達が店に足を運ぶため、何だかんだサイゼリヤ側は儲かったのではないでしょうか。特にサイゼリヤの利益を調べたわけではないので、誤っていたらご指摘いただけますと幸いです。

しかし、GUCCIの財布が炎上した際には、GUCCIの写真を投稿しているツイッタラーは殆ど居らず、百均などで買えるような安物の財布をボロボロになっても使い続けていることを誇らしげに投稿しているツイッタラーが多く居ました。承認欲求のバケモノショーと化しているTwitterにおいて、私物のGUCCI(高級ブランド品)を写真付きで自慢するツイッタラーがあまり居ないことに衝撃を受けました。GUCCIなんて写真付きで投稿したらあからさまな自慢になっちゃうから辞めよう、と考えるような人はそもそもこの炎上に意気揚々と首を突っ込まないだろうと私は考えているため、純粋にGUCCIなどのブランド品に手を出せないのだろうと思います。私を含めブランド品に手を出せないツイッタラー達が「高校生がブランド品を持つことの是非」や「親におねだりすることの是非」など様々な是非について意見をぶつけ合っている光景に猛烈な虚しさを覚えました。

欲しいものを気兼ねなく買える世の中になりますように。
おやすみなさい。