GUCCIとサイゼリヤ

少し前の話になりますが、高校生の娘がGUCCIの財布を親におねだりした件でTwitterが盛り上がり、そのさらに前にはサイゼリヤで喜ぶ彼女というイラストをきっかけにこれまたTwitterが盛大に盛り上がりました。

私は普段この手の炎上には興味を示さないのですが、これらのコンテンツが炎上していた時期は精神が荒んでいたため、Twitterに齧り付き様々なツイッタラーの意見を読み漁っていました。

これらの炎上を眺めていて気がついたことは、これらの炎上に食い付いているツイッタラーの殆どが貧乏だということです。もちろん私もです。

サイゼリヤのイラストが炎上した際、炎上騒動に触発された人達がサイゼリヤに足を運び料理の写真をTwitterに投稿しました。サイゼリヤは様々な形で定期的に炎上するものの、炎上騒動に触発された人達が店に足を運ぶため、何だかんだサイゼリヤ側は儲かったのではないでしょうか。特にサイゼリヤの利益を調べたわけではないので、誤っていたらご指摘いただけますと幸いです。

しかし、GUCCIの財布が炎上した際には、GUCCIの写真を投稿しているツイッタラーは殆ど居らず、百均などで買えるような安物の財布をボロボロになっても使い続けていることを誇らしげに投稿しているツイッタラーが多く居ました。承認欲求のバケモノショーと化しているTwitterにおいて、私物のGUCCI(高級ブランド品)を写真付きで自慢するツイッタラーがあまり居ないことに衝撃を受けました。GUCCIなんて写真付きで投稿したらあからさまな自慢になっちゃうから辞めよう、と考えるような人はそもそもこの炎上に意気揚々と首を突っ込まないだろうと私は考えているため、純粋にGUCCIなどのブランド品に手を出せないのだろうと思います。私を含めブランド品に手を出せないツイッタラー達が「高校生がブランド品を持つことの是非」や「親におねだりすることの是非」など様々な是非について意見をぶつけ合っている光景に猛烈な虚しさを覚えました。

欲しいものを気兼ねなく買える世の中になりますように。
おやすみなさい。